黒部川下の廊下

山行名:黒部川下の廊下紀行 黒部ダムから欅平まで

登山日:2009年10月4日~7日

登山口:信濃大町に駐車、扇沢から黒部ダム

 下の廊下と言えば冠松次郎(かんむりまつじろう)の「黒部渓谷」に詳細に記されている。大正12年(1925年)に42才のとき、宇治長次郎(剣岳点の記に出てくる)をガイドとしてここを遡行している。もちろんダムや水平歩道など無い時代だ。

 

 数年前から下の廊下を歩いて見たいと思っていた。そして2008年9月に「黒部トンネル見学会」に参加して、来年はぜひ下の廊下を歩こうと決定的になった。

 

 下の廊下は欅平から阿曽原温泉までを水平歩道、阿曽原温泉から黒部ダムまでを旧日電歩道と名前が付けられていて、関西電力が毎年この道の整備を行っているということで、全歩道が開通するのは9月か10月でこの時期しか通行ができない。雪が多いと通行が出来ないこともあるという、宿泊地の阿曽原温泉小屋は7月中旬に建物を建て、10月末には小屋を解体するという。そしてインターネットで情報を集め決行することにした。

 

1日目
 10月3日(土)K.H氏・A.Kさんを南大塚駅でピックアップし、川越ICから高速に乗る。長野自動車道の麻績ICを降り、一般道を信濃大町まで行く。今日の宿泊予定地は鷹狩山にあるキャンプ地、キャンプ地がわからず、鷹狩山山頂にある展望台小屋に泊まることにした。

 

 展望台からは北アルプスが目の前に広がり、眼下には大町市の市街地が展望できる。しかも水洗トイレも明かりも完備していて快適な宿泊地であった。本当は宿泊などはしていけない場所なのだろうが。

 

2日目
 10月4日(日)暗い内に出て、山の下にある「山岳博物館」に移動し食事にする。ここからは10分ほどで信濃大町駅へ行くことができる。

 

 信濃大町駅付近の無料駐車場を事前に調べておいたので、そこへ車をおき5分ほど歩いて信濃大町駅へ行く。今日は日曜日なので始発バス(6時15分)は混雑するだろうと予測して、早く行ったのだがお客がいない、時間を間違ったのかと時刻表を見ると間違いはない、定刻にバスが来て乗車した。お客は8名であった。何か拍子抜けしてしまった。

 扇沢に到着(6時55分)すると、切符売り場に長蛇の列、自家用車や高速夜行バスで来た人たちであろう、切符売り場はまだ開いていない。前回扇沢に来た時は前から3人目に並んだので余裕で購入できたが、改札のある2階に行くと改札にはすでに人が並んでいた。この教訓を活かして一人だけ切符売り場の長蛇の列に並び、3人は改札に並ぶことにした。改札には前から7・8番目に並ぶことができた。

 

 電気バスは土曜日だと始発が6時30分、日曜日は7時30分で今日は7時30分の出発である。2台目のバスで座って行くことができた。15分で黒部ダム湖駅に到着する。

 

 観光客はダムや展望台方面に行くが、我々はバス道路に沿って進むことになる。登山者出口とある看板から外にでるが、ここにトイレがある。この先阿曽原温泉までトイレがないので用足しをして行く。

 

 あれ、一人足りない。観光客に混じってダム方向に行ったのか、探しに行く。展望台への階段下まで行ったがいない。出口まで戻ってもいない。再度探しに行こうとしたら停車しているバスの影から現れた。これで4人が揃った、旧日電歩道では間違いようがないが、こんなところで迷っては様にならない。

 

 このバスで来て下の廊下に行く人はほとんど出発した。我々の前に7名のグループが出かけて行く。2名の男性がいたが、我々も出発する。時間は7時55分である。

 

 ダム工事用の道路を別山・大タテガビン(黒部の三大岸壁・黒部の魔神)を正面に見ながら下っていく。小さな標識に従って道路から離れ、下りの山道へ入っていく。黒部川に出ると木板の橋が掛かっていて、これで対岸に渡る。旧日電歩道は仙人ダム手前まで黒部川の左岸をいくことになる。橋の上から黒部ダムの放水が下から見ることができる。霧状の水滴が飛んでくる、そのために橋は濡れている。

 

 橋を渡って黒部川左岸の山道を行く。この辺は谷間が広く明るく、朝日が降りそそぎ気持ちが良い。途中で先行していた7名の若者グループを追い越した。

 

 ダムから1時間程で内蔵助谷出合に出る。分岐を真っ直ぐにいくと真砂沢へ行く。KGさんが池の平に行きたい。途中まで一緒しようかなと言っていた。もし実現出来ていたらここで分かれることになる。右の内蔵助谷へ降りて行く。河原が広く明るいので休憩を取ることにした。内蔵助谷の上には黒部3大岸壁の一つ丸山東壁(黒部の巨人)の大岸壁が目の前に見える。

 内蔵助谷出合を過ぎると徐々に道の雰囲気が変わってきた。ハシゴを昇り降りして行くと、岸壁に旧日電歩道が現れる。道の山側に針金が張ってある。でもこのあたりは川床との高さがあまり無く、針金が必要なさそうだが、用心のために針金を持って歩く。その為に軍手を持ってきた。軍手は指先の無いものでデジカメのシャッターを切るときなど便利であった。

 「新越沢合流点 黒部ダム駅6.8キロ 仙人谷ダム9.8キロ 欅平駅23.4キロ」と看板がある。これによると黒部ダム駅から欅平駅までは30.2キロを2日間で歩くことになる。ここから対岸を見ると新越沢に滝が見える。

 少しずつ川幅が狭くなってきた。それにつれて断崖絶壁に開けられた道?を歩くようになる。旧日電歩道・水平歩道は標高1000m程度に維持されて作られている。一方川は高い方から低い方へ流れるので、欅平に行くに従って川床から道が離れて行くことになる。

 下を見ると真下に川が流れていて河原がない。岸壁を削れない場所には10cm程の丸太が4本並べた桟道が掛けてある。この道は関西電力が国との約束で下の廊下の道を整備することが義務付けされているという。そのお陰で我々は整備された道を歩くことができ、桟道やハシゴが新しいものがあり整備して戴いていることが実感できる。

 そんな道では針金から手を離せなくなる。とくに年寄りのグループだ、足を蹴つまずいてしまうと落ちてしまう。ここは落ちるとケガ?はしないという、慎重に足を運んで行く。

 別山谷手前に「歩道(岩盤)の状態が悪いため高廻り桟道を使用し通行してください」と看板があり、垂直に近いハシゴが何本か上に掛かっている。2つ目のハシゴの一部が壊れていて2段上がらなければならなく、宙ぶらりんの桟に足をかけて無理やり上がる。   

 

 最上部は水平のハシゴになっている。ここから下を見ると登ってくる人の頭が見える状態で怖かった。昇った分また垂直に近いハシゴを降りることになる。このハシゴに使う木材はどういう風に運んだのだろう。1本長さ5mほど直径10cmほどの木材で古くはない。ヘリで降ろす場所もない。雪で壊れたものを直すのだろうが、この道を整備することの大変さを思い感謝する。

 谷の出っ張りから後ろを見ると、岸壁の中に作られた帯状に伸びている旧日電歩道を2人の登山者が歩いている。それから推測すると道から川床まで25~30m程あるように見える。

 ハシゴを過ぎると別山谷出合の雪渓が見えてくる。前日阿曽原温泉小屋に電話を入れると雪渓は崩壊の恐れがあるので河原に誘導してあります言われた。別山谷手前に通行止めがあり「通行不可」と「川床への巻き道を利用して下さい」となっていた。

 道から川床へ降りる処にロープが張られていて、それを伝いながら下る。雪渓の崩れたブロックを足元が滑るので慎重に渡る。川床に降りて別山谷を見上げると雪渓が薄くいつ崩壊してもおかしくない状態であった。川床に付いているマークに沿ってハシゴで黒部川に降り、水から顔を出している石にのってトラバースする。大きな岩の間から岩屑のガレを旧日電歩道まで登り返す。

 別山谷とこの先の白竜峡の雪渓が旧日電歩道が通行可否の指針となっている。今年は白竜峡の雪渓は無くなっている。先週までの情報では別山谷は雪渓上を行くようになっていた。

 白竜峡の手前にもハシゴがあった。白竜峡あたりの谷間が一番狭い感じがする。道の真下は川で針金が手放せなくなる。白竜峡を過ぎると谷間は広くなってくる。白竜峡から1時間15分程で十字峡広場にでる。広場に出ると人がいたが通り越すと吊り橋が見えたので、ここが十字峡だとわかった、ここで休憩をする。

 今は13時14分エリアマップでは十字峡から阿曽原温泉まで3時間30分、頑張れば17時には阿曽原温泉に付くのではないかと期待した、それでも少し早く歩かないと暗くなるかもしれない。

 十字峡を間近に見られる場所があるが、そこはパス。十字峡は広場から見える。また剱沢の吊り橋から見ると、黒部川を挟んで棒小屋沢の流れがあり、本当に十の字になっている。

 

 下の廊下で一番見たい場所でもあった。ここから剱沢の上部へ1.5km程行くと幻の滝剱大滝があるそうだ。2004年1月NHKで「黒部幻の大滝に挑む」が放送された。登山家の志水哲也氏をガイドにして撮影機材をいれたので、見ていても迫力があった。いまなを剱大滝の写真をインターネットで探しても数が少ない。

 吊り橋を渡ると「十字峡 黒部ダム駅11.8キロ 仙人谷ダム4.8キロ 欅平駅18.4キロ」とある。十字峡を過ぎると川床からの高さが高くなり、岩を削った道が続き、針金に掴まりながら移動する。

 「作廊谷合流点 黒部ダム駅13.5キロ 仙人谷ダム3.1キロ 欅平駅16.7キロ」十字峡から1.7キロの場所である「半月峡 黒部ダム駅13.9キロ 仙人谷ダム2.7キロ 欅平駅16.3キロ」十字峡から2.1キロ55分で歩いている。

この看板から少しで、前方向対岸に黒部第四発電所からの送電線取出口が2箇所あった。

 送電線取出口からこちら側に送電鉄塔があり、このあたりから黒部川に向かって下りになる。急坂にハシゴなどあり、降りて行くと吊り橋が見えてくる。東谷吊橋である。対岸の左側に広場が見える。ここまで車が入るようだが何の為?。おそらく鉄塔につける碍子をここまで運び、あとは人手で運び上げるのだろう。インターネットで碍子を運ぶ人のことが載っていた。

 「東谷吊橋 黒部ダム駅15.6キロ 仙人谷ダム1.0キロ 欅平駅14.6キロ」時刻は15時、広場から車道?を通り、明り取りのある暗渠を行く仙人谷ダムが見える。ダム堰堤の横にナンバーのない黒いワンボックスカーが止まっている。その奥のトロッコ軌道にも軽トラが一台あった。

 ダム堰堤の階段を上がるとダム施設内を通る案内図があった。堰堤に上がると下流側にトロッコ軌道のある屋根付きの鉄橋がある。その下に水路管が施設されている。「黒部トンネル見学会」ではトロッコ軌道のある鉄橋でトロッコを降りてダムを見学した。今は反対から眺めている。

 

 堰堤を渡りダム管理棟のドアを開けて中に入る。ドアを開けて入ると直ぐ左側に事務室に入る通路があり、ここにトイレがあり使用できる。狭い通路を行くと踏切にでるトロッコ軌道である。踏切の左側がトロッコ軌道の鉄橋になっている。20mも行くとダムを見ることができる。踏切の左側から湿気のおびた暖かい空気が流れてくる。この左側に高熱隧道がある。

 高熱隧道は最高165度にもなりダイナマイトが自然発火で爆発するという難工事だったそうである。昭和14年8月に軌道隧道が貫通したという。私は「黒部トンネル見学会」に参加が決まった後に、「高熱隧道」吉村昭著(昭和42年発行)を読んで、見学会で実際に高熱隧道を通ったときには感動した。

 

 踏切を渡ると外の明かりが入るようになり前方からも暖かい空気が流れてくる。大きな鉄格子の扉に「日電歩道」と矢印があり、小さな扉を開けて外へでる。時刻は15時半阿曽原温泉小屋に明るい内に着くことが予想されたので休憩を取った。

 急坂を下ると青い屋根が見えると阿曽原温泉小屋に到着した16時40分だった。黒部ダムから8時間45分かかった。予定していた9時間を少し下回り明るい内に着いたのでよかった。

 

 阿曽原温泉小屋は左側に受付のある宿泊棟、右側に水洗トイレがある棟、手前に自動販売機と靴置き場となっている。本日は満員で一部屋12名定員であるが、フトン一枚に2人で24名が一部屋を使うことになる。荷物は別の部屋に置くことができる。また予約なしの人は食堂を使うことになる。宿泊は4部屋、荷物室が1部屋、宿泊棟の奥に別棟で水洗トイレがある、水も水道で使用できる。

 阿曽原温泉とあるので、温泉に入らなければ。丁度女性の入浴時間だったので2人は荷物から入浴に必要なものを出して行った。温泉は小屋から下に5分程降りた場所にあり、高熱隧道から温泉を引いている。小屋は高熱隧道の上に立っていることになる。2人は明るい内に戻ってきた。

 

 温泉は広場に浴槽があり廻りに新しい木のスノコが置いてあるだけである。温泉は浴槽の先にあるトンネルから引いてある。トンネルから湯けむりがでている。トンネルの下には木のスノコが並べて脱衣所を兼ねていて暖かい。温泉に入ると熱い、熱いわけだトンネルから引いている温泉導管の直ぐ横に入ったから、水は向かい側の沢の方から入っている向こう側はぬるいのかな、風呂から揚がりヘッドランプを付けて帰ってきた。

 夕食はカレーライスでおかわり自由、混雑しない場合はカレーライスではないがカレーライスは美味しかった。

3日目
 山小屋の朝は、早朝の暗いうちから騒々しい。早立する人がうるさくて寝ていられないので起きてしまった。12名の団体さんは朝食弁当を食べていた。我々はすることがなく布団の中で横になっている。団体さんは暗い内に出かけていった。

 

 朝食は2回目で納豆・味付け海苔・ソーセージ・玉子焼き・香の物・味噌汁・ご飯で暖かいのを食べられるのはありがたい。

 6時47分全員揃って記念撮影、今回はじめて全員の写真を撮る。残念ながらボケた写真となった。阿曽原温泉小屋と書かれた看板の裏に梵鐘があり鐘をついて出発する。

 小屋から少し下がってテント場を横切りさらに少し下って沢を渡る。ここから1000m程までの急阪を行く。登るにつれ阿曽原温泉小屋が下に見えてくる。更にその下に湯煙の上がる露天風呂が小さく見える、登り切ると水平歩道である。

 ここから欅平駅の上部1000m辺りまで水平歩道が続く。水平歩道は草木が茂っているのと川が見えにくいので怖さは薄れるが針金はしっかり張ってある。旧日電歩道と違って沢が入り組んでいるため、沢になると沢の1000m程の所まで入りまた出てくるという繰り返しになる。その為にこちらから沢向こうにある水平歩道が山腹に水平に道が出来ていることがわかる。前方の団体さんが手を振っている。我々も手を振る、同じ道を歩いている仲間意識がそうさせているのだろう。

 阿曽原温泉から1時間半ほどで折尾滝にでる。立派な滝で、滝下で休憩を取る。あまり滝に近づくと霧が降ってくる。

 滝から8分程で砂防堤にでる。砂防堤の中を通って対岸に出るようになっている。中は水が少しあった。雨などが降ると水が溜まってしまい歩けなくなるようだ。そういう時のために阿曽原側に水抜きの穴がありスコップと鉄の棒が置いてあった。欅平側には水抜き穴がなく水の多いときは靴を脱いで行くのだろうか。

 先程も書いたが水平歩道は草木が多く、かつ川床が見えないので恐怖感は少ない。そして歩道の幅も旧日電歩道より少し広幅である。昨日の旧日電歩道で慣れたのかあまり怖い感じはしなくなってきている。針金も道に沿って張られていて気を抜けない所を示している。

 やがて岸壁をくり抜いた道になり緊張感が増してくると、大太鼓に出る「大太鼓 黒部ダム駅24.8キロ 仙人谷ダム8.2キロ 欅平駅5.4キロ」の看板と「撮影ポイント 大太鼓展望台」とある。大太鼓から目の前に奥鐘山の西壁(黒部三大岸壁・黒部の怪人)が見え、更に下流方面に欅平の赤い鉄橋が遠くに見える。大太鼓で片足をあげてポーズを取るが手はしっかりと針金を握っている。

 大太鼓から12分程で志合谷にでる。沢の下にトンネルを掘ってある。トンネルは150mほどで内部は曲がった作りになっていて出口が見えず真っ暗である。ヘッドランプを付けて行く。下の片側に水が流れていて靴が半分埋まるほどの場所もある。頭を天井にぶつけないないように歩く。

 

 志合谷トンネルの入り口から向こうにある出口が見えるが、初めはどこに出口があるかわからなかったが、人が出てきたので出口がわかった。

 

 この志合谷には、この場所より下にあるトンネル辺りに半地下作り、1・2階が鉄筋コンクリート造り3・4階が木造の作業員宿舎として建っていた。昭和13年(1938年)12月27日にここを泡雪崩が襲い3・4階部分が一瞬にして無くなった。建物がどこへ行ったのかもわからずに年を越し、奥鐘山の西壁に張り付いていたのを発見、雪崩場所から西壁までは600m程ある。

 

 作業員は建物ごと吹き飛ばされ、春になって西壁の雪が解けて、川に落ちるのを待って下流で回収したという凄まじい事故であった。84名の犠牲者が出て内47名の死亡が確認できないという大惨事になったとある。それにしてもこんな急斜面に建物を建てたものだと感心する。(「黒部トンネル見学会」と「高熱隧道」を参考にした)

 志合谷から1時間程で小さなトンネルがあり抜けると「蜆谷 黒部ダム駅27.2キロ 仙人谷ダム14.6キロ 欅平駅3キロ」とある、30分ほど歩くと欅平の赤い鉄橋が見える。まだ危険地帯は過ぎていない、送電鉄塔を何本か過ぎると「水平歩道 始・終」の看板があり。

 水平歩道はここで終わり。ここから300m程の標高差を欅平駅まで急坂をジグザグに降りて行く。欅平が見えるがなかなか着かない。駅広場の端で工事中をしているその横の階段を降りると欅平駅広場である、

観光客が広場のベンチで寝転がっている。ようやく到着、緊張感が取れたのか急に空腹を感じ、駅でソバを食べた。

 一度は行きたいと願っていた黒部川・下の廊下を歩いた充実感に満足した。広場で仲間の誰かともなく「よかったね」という言葉がでた。無事に帰って来てよかったね、下の廊下を歩けてよかったね、人それぞれの「よかったね」があると思う。
 広場で仲間と今回の無事を祝した。

帰り
欅平から宇奈月温泉まで黒部渓谷鉄道のトロッコ列車
宇奈月温泉から新魚津まで富山地方鉄道
魚津から糸魚川までJR西日本北陸本線
糸魚川から南小谷までJR西日本大糸線(ここまでJR西日本)
南小谷から信濃大町までJR東日本大糸線
欅平12時49分に乗車、信濃大町着19時49分、7時間かけて信濃大町に戻ってきた。駐車場に車を取りに行き、高速道路を飛ばして帰ってきた。仲間の2人には南大塚駅を何時に乗れば自宅に帰れるかを調べて貰っていた。何とかその時間に間に合うように帰ってこれた。
 行きに夜行高速バスで扇沢へ、帰りは魚津から特急で越後湯沢、越後湯沢から新幹線で大宮(21時頃着)があるが、なるべく安い交通費で済むように、貧乏人の私にお付き合いさせてしまった。
 

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