幌尻岳

 

山 名:幌尻岳  2052m

登山日: 2000年7月26日~28日

登山口: 糠平川取水ダム

 あれから三十三年、再び日高幌尻岳に登るとは思いもよらなかった、中高年の登山ブームに乗って私共夫婦も深田久弥氏の日本百名山を目指しているが日高幌尻岳もその中の一つである。

 

  北海道には日本百名山が九座あり、その一つが日高幌尻岳、この山は百名山のなかでも沢水の中に入ることで最も登りづらい山である、ただ、百名山であるがゆえに沢の経験のない人が大勢入ってくる、中には人の後にくっついて登る人もいるようである、最近では旅行会社もツアーを組んで入ってくる、当然沢の経験のない人が大半である、今回も十四人のツアーが入っていた、ただ救われるのはこの沢は危険な所、例えば滝を登るなどはないし、増水時の停滞を考慮していれば難しい沢ではない。

 三十三年前札幌から国鉄で振内駅(現在は鉄道がない)へ、ここの営林署で入山届をしトラックをチャータして額平川の取水口まで入った、「登高」を読んでいる方にメンバーを紹介したい、懐かしい思いをする方もいると思う、敬称略CLM.Y、SLS.T、メンバーM.T、T.K、M.T、Y.M、U.S、K.Mの計8名である。

 幌尻山荘が出来たこと、山道が新しく作られたことの情報をもとに振内営林署に問合せをし、水に入らないでも行けることで日高幌尻岳山行を決定した、当時、日高に入るとなると山の経験が必要との認識からメンバーの人選に問題があるとの意見があったことも記憶している、たしかに日高には山道がなく急峻な沢を詰めなければ登れないこともたしかであった。

 

 そんな中で川の状態と川に入らないこと、山荘から上は営林署によって新しく道が付けられたことなどで停滞期間をみて入山した、結果1967年7月14日~16日の幌尻山荘2泊3日の山行を行えた。

 幌尻山荘の当時は新しい小屋で玄関の前は横向きに階段があったが、今は正面に付いている、当時の山荘の設備は思い出せないが今は毛布が沢山あり、調理器具も水道もあり、これが三十四年前に建てられた無人の山荘とは思えない程綺麗であった、驚いたことには管理人室(鍵が掛かっていた)に発電機があり電灯が点くようになっていた。

 取水口からしばらく右岸を行くが四の沢の手前から渡渉の連続であった、当時は右岸を全て高巻きで渡渉せずに行け、山荘の手前には大きな木が横たわって橋になっていたが。


 この山で思いがよみがえったのは、「命の泉」という水場からであった、ここからは北カールまでハイマツ帯の急登である、太いハイマツの真新しい切り口が新鮮であり、道を切り開いた努力に感謝した、今はこの切り口も真っ黒くあったがなぜか懐かしく思えた。

 

北カール上部をゆるやかな稜線の散歩だ、当時はここに雪渓がありこの上を楽しく歩いた、今日のここはお花畑で綺麗であった、三角形の戸蔦別岳が北カールの向こうに見え、稜線上のお花畑の中を円を描くように幌尻岳まで半周するようにユックリ歩くと記憶がだんだん鮮明になっていった。

 

この日は午前4時頃まで雨が降っていたが幌尻岳山頂では360度の展望がえられた、夕張岳、芦別岳、大雪山、トムラウシ山、目の前の戸蔦別岳、カムイエクチカウシ山、遠くにペテガリ岳が見えるはずだがどれかわからなかった。


実は七ツ沼でテントを張る予定であったが前日の大雨で川の状態が分からない為出発を遅らせたので七ツ沼の予定を山荘利用に変更した、妻に七ツ沼の朝を迎えさせたかったのだが残念であった。

林道終点(車用ゲートあり)で川の状態を見ていたらちょうど山から降りてきた人に出会い、川の状態を聞いた、腰まで行かない程度だというので、出発することにした、登山準備をしていたら又3人が降りてきて前の人と同じことを言うので急いで出発した、林道ゲートを100m程進むと車は通れない程崖が崩れていた。


ガイドブックではヒザ程度の水とか簡単な沢という印象があるが、私共が最初の渡渉でいきなりお尻の下まできた、下山者が腰までこないと言っていたので、腰までの覚悟で渡渉を行った、結果はお尻の上という感じであった、途中から雨が振り出したので先を急いだ、20回以上も水の中に入って無事山荘にたどり着いた。

 

私共から2時間位後に山荘の川向こうから大きな声がした、見ると男性が2人どこを渡渉するのかと聞いている、2時間で渡渉地点がわからないほど増水していた、妻には始めての水であり、始めは怖がっていたが後半は楽しんでいるようであった。

 山行予定(変更後の予定)は一日目林道終点から山荘、2日目山荘から幌尻岳往復、3日目山荘から林道終点であったが、川の増水ということで予定変更というおまけがついた、

天気予報が日高地方に前線停滞で川の増水は一度増水したら2日は引かないだろうという予測を立てた、すると4日目に山を降りることになるがあくまでも予測であり前年のように1週間閉じ込められることも考えられる、そうなると食料の問題もあるので、歩く距離が半端なものでない新冠コースを考えなければならない。

 

山荘にいたツアーのグループは明日下山予定であるが今のままでは確実に下山できない、思案にくれていたので新冠コースを教えてあげた、このツアーのガイドと下見にきていたツアーガイドの二人で相談していた、もし明日新冠コースに降りるなら協力することを話した、このコースは弟から聞いていたので下山には使えるが林道が長い欠点があることも伝えた。

 

新冠コースにある新冠ポロシリ山荘(ここから車道がある)から林道ゲートまで16キロメートル程ある、歩くと6時間程度は見ないといけない、途中奥新冠ダム、別名ポロシリ湖があり人がいればなんとかなる、さらに林道ゲートから新冠ダムサイトまで14キロメートルほどある、どこで人に出会うかであるが丸一日歩けばなんとかなるとの結論から、翌日は幌尻山荘から幌尻岳そして新冠ポロシリ山荘で一泊、翌々日に新冠ポロシリ山荘から林道歩きと決めた。

幌尻山荘にいた全員4組二十名が一緒に行動を取ることになった。

 

新冠ポロシリ山荘では休息を取った下見のツアーガイドとツアー会社の人2人が先行して林道ゲートまで歩いていくことになった、熊の多い林道を暗くなっての歩行は勇気の要ることである(新冠コースの途中に熊の新しい糞が2箇所あった)、林道ゲートには午後9時頃着いたとのこと。

 

この先発が翌朝6時頃釣人が車で現れたので新冠ダムサイトの電話まで運んでくれた、このお蔭で車のチャータが出来た、この釣人は昨年1週間閉じ込められて、この人たちだけが新冠コースで脱出したとはなにか運命のような気がした、自分たちの釣を遅らせても車で走り回ってくれたことに感謝したい。

 

また、林道補修で林道ゲートを入ってきた北東工業の人達も仕事を投げ出して車2台で林道を何度も往復してくれたりした、コース途中で71歳の女性が痩せ尾根で30m程転落し腰を痛くし、顔をすりむいた事故があったが、このことを知らせたら地元の警察の方がパトカーで1時間も掛かる所を飛んできてくれた、さらに後程自家用車で飲み物やパンを差し入れてくれた、多くの方に助けていただき、数々のご好意に感謝した。


 私共は予定の日数で、ツアーの人は1日遅れになった、今回のことは妻に良い経験になったことと思う。

 

 最後にお世話になった北東工業の方々、

振内交通の松島和則様、

静内警察署泉派出所の巡査部長米澤繁三様、

ツアーガイドの西方 太様、ツアーガイドの三島健悦様、

下見にきたツアー会社の山﨑貴仁様、

皆さん本当にありがとうございました。


なお、日高幌尻岳を登山する方は振内交通のタクシーを頼むと取水口まで入ってくれるので林道の2時間強の時間が短縮するので利用するとよい。一万五千円くらい、松島様は幌尻岳を知り尽くしている方で、入山するかどうかの相談にものってくれる。


 三十三年ぶりの日高は、また一つ山で人生の良い経験をさせていただいた、山に皆様に感謝したい。

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