山名:塔の岳 丹沢山 蛭ケ岳 檜洞丸
登山日:2014年4月24日~25日
入山口:ヤビツ峠
下山口:西丹沢自然教室
前回の山行からほぼ1ケ月近くたつ、どこかへ行こう、そうだ交通の便利な丹沢に行ってみよう。
前に行ったときは蛭ケ岳の手前でバテバテになったことを思い出し、今回は丹沢山の「みやま山荘」へ泊ることとした。
小田急線秦野駅の北口4番バス停へ行くと長蛇の列、平日なのにこの数、バスに乗車できないのではと心配する。臨時バスが出るというので一安心、バスに乗り込もうと進むと突然止まってしまった、2番目のバスに座って行きたい人が止まった為である、私は15番目これなら座れると私も立ち止まった。そして無事座って行くことができた。48分を座っていけたのは良かった。
ヤビツ峠には「丹沢大山国定公園 ヤビツ峠 761M」の看板があった。大勢の人が登山準備をしている、トイレ舎の手前に大山への登山口があり、こちらに行く人が多かった。
トイレ舎の裏側に駐車場があり、満車であった。
ヤビツ峠から車道を、桜などを見ながら20分程度歩いて富士見橋にでる、標識に塔ノ岳6.2Kmとある、ここを左に入る、左にトイレがあり少しに坂道を上がって行く、右に登山口が現れる、ここから山道になる、丹沢の名物階段が現れる、上の林道に出、左手向うに登山道がある、塔ノ岳5.8Kmの標識がある、薄手のジャケットをここで脱ぐ、今日は天気が良く汗ばむほどである。
標高を上げるにつれて見通しが良くなる、振り向くと大山が見える。二ノ塔に到着、ベンチが幾つかあった、ここは通過三ノ塔まで行くことにする。
二ノ塔から少し下り登り返す階段の多い登山道を行く、三ノ塔は広く展望が良い場所だ、大きな避難小屋が立っている中を覗くとテーブルとベンチで下は土間となっている、ここで寝るには土間に寝るしかない、ベンチだと落ちてしまうだろう、誰もいなかった。
広い山頂には方位盤やベンチが幾つかあった、今は誰もうない、三ノ塔広場に出るとき、左にジャンパーらしきものが掛けてあった、方位盤にはサングラスや帽子などがあり、ベンチにはペットボトルがあった、誰もいないということは忘れ物ということだろう、登りの人か下りの人かわからないので、そのままにしてきた。
三ノ塔から下りになる、下に烏尾山の青い小屋が見える、目を上に転じると塔ノ岳が遠くに見える。
道を下って行くと小さなお地蔵さんが毛糸の暖かそうなケープと帽子を付けていた、可愛らしい、どなたがこんなことをされたのか、心が和むのと疲れが少し癒されたかなと感じる。
烏尾山への登りから三ノ塔を振り返ると結構な下りになっている。階段を上ると小屋が見えてくる、烏尾山荘とあった、入口には木の切り株が置いてあり中に入れないようにしてあった。塔ノ岳3.1Kmの標識があった、塔ノ岳まで、まだ半分くらいしか来ていない。
行者岳からはアップダウンが続き、鎖場、桟道、階段と続く、鎖場は鎖を使わなくとも登れる。源次郎の頭とある、塔ノ岳1.9Kmの標識、ここから戸沢へ降りる分岐になっている。
ベンチが4つほどある場所は書策小屋のあった場所だろうか、ここから新大日まで20分塔ノ岳まで60分、もう少しガンバル新大日で休憩しよう。
新大日には緑色トタンで囲った小屋に新大日茶屋と書いてあった、入口にビール瓶の箱が積み上げられ中には入ることも覗くこともできなかった。
新大日から下り、上り返すと木ノ又小屋がある、小屋は営業小屋で素泊まり料金があったので食事はなしのようだ。
木ノ又小屋の上、木ノ又大日のピークからは塔ノ岳が目の前に見える。
塔ノ岳山頂標識の周りには何故か角材が多数ある、土留めの意味なのか、前に来た時と変わらない、ベンチもあり大勢の登山者が寛いでいた。ヤビツ峠から塔ノ岳まで4時間弱、山と高原地図の時間とほぼ同じ程度、まあまあか、快晴の空がいつの間にか曇って来た、当然富士山は見えない。ヤビツ峠方面の丹沢表尾根を一望できる。このコースはアップダウンの多い、大倉尾根の方が登りやすいかもしれない。
塔ノ岳山頂からの眺望は素晴らしいが、富士山の見えないときは、その素晴らしさが半減してしまうように感じた。
尊仏山荘の横を通って丹沢山へ向かう。
この先、植生保護と書いたネットが続いていた、鹿を初めとする動物による食害を防ぐ意味があるようだ。
少しのアップダウンが続くが標高差があまりないが、疲れた身体には堪える、登りの途中にベンチがあったので休みを取る、竜ケ馬場とある、地図では1504mに竜ケ馬場とあったので竜ケ馬場はピークと思っていた、実際は1504mの80mほど下にある。疲れた足を休ませる。ここまできたら丹沢山はすぐ近くだ。
1504mピークを下って行き、上り返すと太陽光発電のユニットが出てきた。発電ユニットの少し先左に丹沢山の看板がある山頂に出る。前に来た時はこの看板は無かった。
少し先に、今日の宿泊みやま山荘がある。
みやま山荘は玄関の外に歯磨きのできる場所がある、水は大切にという文句が書いてあった、玄関は引き戸で入ると靴置場でサンダルが置いてある、右にある引き戸を開けると右に受付がある、声をかけると係りの人が出てきた、
受付の前が土間になっていてテーブルとベンチが置いてある、受付で宿泊のルール説明を受けて土間の前からサンダルを脱いであがる、左に本棚がありヒマラヤ関係の本が沢山あった、テーブルがあり座布団がある、そこに階段があり二階へ上がる、二階は就寝する部屋で階段を上がると左右に布団が並べられていた、左側に6枚の布団、その奥に仕切りの付いた小部屋が2つ、布団が2つずつ置かれていた、右側は2段になっていて10枚の布団があり、定員は30名のようだ。布団は80cmほどがくっ付くようにしかなければならない。
土間から上がった所を左にトイレと乾燥室(ストーブがあったが火は入っていなかった)受付の前と階段の下に石油ストーブに火が入っていた。外の気温は9℃だったが山荘の中は暖かった。
6時から夕食、夕食は食堂(階段の下に入口がある)で、この日は17名、長いテーブルが2つあり、1テーブルに10名座れるので20名が一度に食事ができる。山小屋としては食事が良い方に感じた、ご飯とみそ汁はセルフサービスで後片付けはせず、そのままにしてと言うことだった。
8時半に消灯、食事をするとすることがない、当然布団に潜り込む、8時半管理人さんがランプに火を入れにきた、火は小さいが暗闇には十分な明るさがあり、情緒があった。
寝付かれないでいると隣の方がイビキを書き始め、手や足が侵入してくる、寝ていられない朝までこんな調子で寝不足である。本人に言っても仕方がないので黙っていた、前にもイビキで寝不足になった思い出があるが、イビキをする人は個室を取るかイビキをかかないように対策を講じた方がいい、本人はいいとしても回りに迷惑をかけるわけだけだから。
翌朝、天気が良いようだ、日の出を見るため外に出る、温度計は-1℃を示していた。
霜柱で地面が白くなっていた。
朝食は5時半、単独行の女性が朝食をお弁当にしてもらい出かけていった。朝食は16名皆さんの行動はほとんどが蛭ケ岳に行くという、蛭ケ岳からは焼山、東野方面、丹沢山まで戻り大倉尾根、またはヤビツ峠へ、私は檜洞丸へ向かうとそれぞれ朝食後に出かける用意をしている。
丹沢山から5m程残雪の道を行くと直ぐに急な下りが階段となっている。階段に霜が付いていて滑りやすい。
蛭ケ岳方面を見るといったん下り登り返す道が見えている。
不動ノ峰の手前、水場分岐に東屋がある。水場3分とあるが寄り道はせずに通過する。
棚沢ノ頭、ユーシンロッジへの分岐がある。
棚沢ノ頭から次のピークあたりから富士山を見る。面白い枯れ木があった。鹿の顔のように見える。
鬼ケ岩ノ頭、ここから富士山を見る。
鬼ケ岩ノ頭から岩屑混じりを急下降する。
その先に蛭ケ岳の小屋が見えるが、また長い登りが待っている。
鬼ケ岩ノ頭から岩屑の道を滑らないように慎重に下る。
登り返すと蛭ケ岳山荘にでる。
山頂は山荘の正面にある。
蛭ケ岳からは長い下りになる、ここも鎖などがある急下降の道である。
鞍部まで300m程の下りになる。
山頂から鞍部まで30分程かかった。
鞍部から登り返してミカゲ沢ノ頭、70m程下り、また100m程登り返して行く。
臼ケ岳に着く。
蛭ケ岳を見上げると下りの斜面が見える。
丹沢の標識は当たり前だが行先が書いてある、標柱には「神奈川県」と一段と大きく書いてある。そして現在地は行先表示の端に小さく書かれている。
現在地は標柱に書いてほしいものだ、神奈川県の文字を少し小さくすれば書けると思うのだが、最初は現在地がどこに書いてあるのかわからなかった。
臼ケ岳から200m程下ると神ノ川乗越に出る。
大きなザックがあった。すると水場方面から若者が来た。水場を見てきたという。
犬越路避難小屋から来たという、若者が山にくることはいいことだ。
みやま山荘でも単独行の山ガールがいた。
山で若者を見ると何故か嬉しくなる。
神ノ川乗越からまた登りになる。
途中に崩壊地があり、鉄製の桟道があり、渡って鉄梯子を下ると、更に木段が左の沢へ下るようについていて更に上へ木段が続いている、道が崩れているので迂廻路となっている。
神ノ川乗越から檜洞丸まで標高差340m程ある、疲れた足を前に出していると、コバイケイソウの葉っぱが沢山出てきた、疲れが癒される。
すると上に青いトタンで囲った建物が見えてきた。
青ケ岳山荘である。「準備中」の札が掛けられていた。
山荘の前にベンチがあり「使用料一人100円」と書かれていた、テーブルベンチとも古く料金を払ってまで休憩したいと思わない。
山荘の裏には立派な公衆トイレがあった。トイレの方が山荘らしく見える。
青ケ岳山荘の直ぐ上が檜洞丸山頂である。
山頂標識はボロイ標柱で文字も消えかかっている。神奈川県と書いてある行先表示標識には山頂名がない。
この山には三角点がなく正確な標高がわからないようだ、標柱に「標高一六〇一米」がかろうじて読めるメートルを「米」とあるので相当古い標柱なのだろう。
もっとしっかりした標識を立ててもいいように思うが、太い丸太に「檜洞丸 神奈川県」と書けばと思ってしまった。
山頂にはテーブル状のものが4つほどあった。その一つに陣取りコーヒータイムにする。休憩の間3人が来た。
西丹沢自然教室のバスは14時40分なので時間は十分間に合う。
檜洞丸からゴーラ沢の出会いまでは、850m程ほぼ下りの道になる。
階段と木道を行く、木道は左右に2本ある所もある、多分この辺は込み合うのか、すれ違いを避ける意味合いもあるのだろう。
つつじ新道と石棚山の分岐に出る。右のつつじ新道への木道へ入る。この先何人もの人に出会う。
この分岐から少し木道が続く、木道がなくなると急坂になる、階段もある。
山頂から1時間弱で展望台の標識、左へ上がると下にテーブルがあり、女性が2人座っていた。
ここが地図にある「展望園地」だ、ミツバツツジが綺麗に咲いていた。
女性の一人が話しかけてきた、このつつじ新道はこの上(檜洞丸へ)はシロヤシオのトンネルになり、例年すれ違いが困難になるほど人がくると話していた。若い人にお一人ですかと声をかけると母ですという、休んでいたのは親子で可愛い感じの若い女性だった。
腰を上げて出かけようとしたとき、お母さんのザックに「青ケ岳山荘 高城?」と名札が付いていた、聞いてみると青ケ岳山荘の経営者だった。明日から連休なので登ってきたと言っていた。
「シロヤシオの時期に来てください」と言われ、「お先に」と先に出発する。
展望園地の写真は撮らなかった。
展望園地からはミツバツツジが沢山あった。
ミツバツツジを見ながら展望園地から下ること40分程でゴーラ沢出合の河原に降り立つ。
コンクリートの階段を降りて沢に立つ、階段にコースの図があった。
図はおおざっぱで方向がわかるが河原のどこを歩けばいいのかわからない。
階段を真直ぐ川(東沢本流)の方向へ川まで行かずに川に沿って左へ向かう、ゴーラ沢からの流れにあう、ここを適当に渡渉する、飛び石で渡れる。渡ると東沢本流の流れに沿って行く、川の先は堰堤で水は堰堤の上を流れている、堰堤の30m程手前の飛び石で対岸へ渡る、渡ると岩の下なので岩に沿って行くと流れに飛び石がない、水が少なく小さな石が水の上に出ている、これを利用して堰堤の手前に出る。
ゴーラ沢出合から堰堤へ出て、歩きやすい山道を行く。
途中、看板に大きく「西丹沢自然教室方面」とある、左へ行く方に大きな矢印、右へ行くのに上方向に小さな矢印がある。
どちらに行くのがいいのか、看板の左隅に「川の増水時は通行できない。私有地を通りますなど」が書かれていた。距離はどちらも1.5Km、ここは右へ行くことにする。
沢状に入ると車道が見える。この辺は道があるのかわからない適当に歩く、直ぐに車道にでた。
ここから車道を西丹沢自然教室まで歩く、途中で追い抜いていた女性は急いでいるように思えた、13時台のバスがあるのだろうと思って後を追って行った。
西丹沢自然教室のバス時刻をみると13時台はバスがない。今は13時30分、次のバスは14時40分1時間以上もある。
西丹沢自然教室の展示を見て時間をつぶす。
丹沢の山は良く整備されている印象はあるが反面階段が多いのは参った。
交通の便がいいので登山者が多いのも静かな山行を求める者には向かない山だ。
丹沢山から檜洞丸までは2人の若者に出合った静かな山行だった。
1ケ月振りの山行で家に帰ってから足がパンパンで階段の上り下りが辛い。
月に2度は山行しないとロングコースは無理なようだ。
でも山にいると山の事以外無になるので山行を終えると充実感があって嬉しい気分になる。
やはり山はいい~な~。
1日目:累積標高(+)は1487m(登り部分を加算したもの)
標高差は793m(ヤビツ峠:761m、丹沢山:1567m)
累積標高(-)は694m(下り部分を加算したもの)
2日目:累積標高(+)は1325m
標高差は1036m
累積標高(-)は2339m
これで見ると1日目2日目共にアップダウンが多いことが分かる。
行程
1日目
ヤビツ峠-0:20-富士見橋-1:14-三ノ塔-1:20-新大日-0:40-塔ノ岳-1:15-丹沢山
所要時間:5:18(歩行:4:49、休憩:0:29)
2日目
丹沢山-1:28-蛭ケ岳-1:00-臼ケ岳-4:54-檜洞丸-0:54-展望園地-1:20-西丹沢自然教室
所要時間:7:36(歩行:6:36、休憩:1:00)