山 名:谷川岳・一ノ倉岳・茂倉岳・武能岳・七ツ小屋山・朝日岳・笠ケ岳・白毛門
登山日:2013年10月11日(金)~12日(土)
登山口:谷川岳ロープウェイ天神平駅 下山口:白毛門登山口(土合橋)
直ぐオキの耳へ行く、トマの耳から時々青空が除くが周りは霧が出ている。
トマの耳から下って行くと霧の中からオキの耳への稜線が出てきた、群馬側と新潟側から霧が吹上両方の霧が混じらずに上に流れている、トマの耳とオキの耳の中間くらいで茂倉岳方面の霧が無くなり青空が見える、オキの耳(1977m)に到着、3人ほどいたが降りていった、またここも誰もいなくなった。
トマの耳よりオキの耳の方が高い、オキの耳が谷川岳の山頂だろう。<BR谷川岳山頂(オキの耳)の標柱が立っている。
ノゾキの先から登りになる。一ノ倉岳へ真直ぐに登山道が見える。相変わらず西側から霧が湧いていて、東側は晴れている状態だ。風が少し強くなってきた。
急登を行き道が緩やかになると一ノ倉岳の山頂にでる。
山頂標識の手前に一ノ倉岳避難小屋がある、最近直したのか床が綺麗に張ってあった、またドアも新しい。
一ノ倉岳から振り返ると谷川岳の西側の雲が取れ岸壁が見ることができる。
一ノ倉岳から稜線歩きで茂倉岳へ到着。
上越国境の山はここが見納めになる。
今は平標山まで見える。
新潟県側は晴れている。
山頂から茂倉新道を左に見て武能岳への道を行く。
武能岳は茂倉岳より200mほど低いので下に見える。
地図を見ると武能岳の3分の2が下り、3分の1が登りとなる。
下り384mほど、上り165mほどの高低差がある。下りは笹が刈ってあり、道に笹が落ちていて滑るので足の疲労が倍加するようだ。
斜面の途中にササ刈り機がビニール袋にくるまって置いてあった。この道はどこも綺麗にササが刈ってあった、ササ刈りをどの方が行っているのか登山者にとって嬉しいことだ。後で分かったことだが、蓬ヒュッテのご主人が刈っているとのこと、驚いたのが、万太郎方面、苗場山方面もササ刈りを行っていると、なるほど先月の上越国境も綺麗に刈ってあった。
この谷川岳馬蹄形は斜面が笹で覆われていて綺麗だ。
綺麗な笹の斜面を長いこと下っていく。地図に笹平とあるのが茂倉岳と武能岳の鞍部のようだ。
見上げると急斜面が続いている。
谷川岳方面を見ると一ノ倉岳からの堅炭尾根に中芝新道が見える。
登るにつれて、北側が開け大源太山。七ツ小屋山が見えるようになる。
急斜面を登り切ると武能岳山頂。
眼下の笹原の中に蓬ヒュッテが見える。笹原に登山道が太くハッキリと見える。
武能岳から北西方向に行き北に向き大源太山と七ツ小屋山を正面に見ながら笹道を下る。ここは急斜面でも歩きやすい。道は平坦になり一山越えて下ると白樺小屋への分岐にでる、道を左に行くと直ぐ蓬ヒュッテがある。
昨年ペンキを塗り替えたが1年で前の黄色が出てきてまだらになってしまったとヒュッテのご主人が嘆いていた。
この日の宿泊者は8名内食事をしたのが6名、2人は素泊まり。
男性7名、女性1名(素泊まり)
夕食はカレーと野菜サラダ、らっきょうと福神漬け、カレーは美味しかった。ご飯カレー共にセルフだ。
カレーは紙の皿を使っていた。水がないので洗い物を極力しないためだろう。
17時から夕食、夕食後夕食を囲んだ6名とご主人の高波さんを交えて山の話やら、最近の世相の話と多岐に渡って盛り上がった。19時頃2階へ上がる。
ご主人の高波さんは苗場山の遊仙閣のご主人だった人で、遊仙閣の持ち主プリンスホテルの方針で廃業になった。
また、中里で高波ヒュッテを経営し、ご主人は冬、スキーのインストラクターも行うということだ。
ちなみに、高波吾策氏はご主人の父上で土樽から万太郎山への吾策新道を開拓した人だ。
寝具は毛布2枚と薄い封筒型シュラフで枕はない。部屋は暖かった。
昨夜は隣の方のイビキがすごく寝ることが出来なかった。
今日は寝不足が出なければいいが。
朝食は5時半からというが全員小屋で食事をしていくというので早めに用意してくれた。
朝食はごはん・みそ汁(インスタント、お湯を注いで自分で作る)・ウインナー2個・イモサラダ。
夕食時にマイ箸、マイカップは山小屋では当たり前と言われ朝食時は両方持って行ったが、飯碗でお茶を飲んだのでカップは使わなかった。
5時45分霧の中を出発、ご主人が鐘を鳴らして見送ってくれた。
朝日岳経由は4人で1人は先に出て行った。私は2番目に出発。笹原のなだらかな道を行く、シシゴヤノ頭への分岐を過ぎて先行者(A氏)に追いつくと「ご一緒していいですか」と聞かれ、「どうぞ」と言って、それからは土合登山口まで一緒することになった。
この方は足が早いので「お先にどうぞ」と言うと「早いですか、では少し遅く歩きます」といい、先程より少し遅目に歩いてくれた。
長時間歩いているとスピードがガクンと落ちてきたことを見ると、山には未だ慣れていないようだった。
七ツ小屋山、なんでこのような山名になったのだろうか、帰ってから調べてみると、こんな文章を見つけた。
「参謀本部の測量当時、この付近に七つの天幕を張って長時間の測量をしたから付けられた」また、「麓に7軒の小屋があったことに由来する」これなどは麓とはどこなのと思ってしまう。
七ツ小屋山では晴れていた、が大源太山への分岐ではガスがまた出てきた。朝日岳方面は何も見えない。
ガスの中を下って行く、地図では左に猫池とあるが気が付かなかった、と言うよりガスが濃くて見えなかったのだと思う。
下ってまた上り、また下って行くと、笹原の清水峠に立つJR送電線監視所が見えてくる、ガスで避難小屋が見えない、小屋に近づいてくると3階建ての三角の建物が大きい、側に飛行機形の風力発電なのか分からないものがある、これの小さいのは風向計風速計であるが、こんな大きな風向風速計(風車型風速計)は見たことがない。
JR送電線監視所の向こうに避難小屋が見えてきた。
JR送電線監視所を東電と書いている人が見受けられるがJRが正解、避難小屋や送電線鉄塔にJRの文字が書いてある。
清水峠も避難小屋はJRの所有とあった。
内部の写真は玄関ドアを開けて中を取ったところ。
玄関の入ったところに物が置ける棚があった。
奥に人がいるところが宿泊できる、左右に部屋が別れそれぞれ2階がある。
内部は綺麗に使われている。充分に宿泊可能だ。
内部に明かりが射さないので薄暗く、写真で見ると汚く見えるがそんなことはない。
清水峠には5本の道が合流している。
避難小屋から道が下りになる直ぐにT字路にでる、ここに看板が倒れてあった。左は清水街道への道、道の右側にある標柱をよく見ると朝日岳の方向が書いてある、ここは右に行く、直ぐにT字路ここは標柱も何もないが左へ行くのが正解、ガスが濃い時は地図で方向を確かめて行動しないと間違ってしまいそうだ。
ジャンクションピークまでは、急登、なだらか、また急登と幾つかのピーク状を越えて行く、途中晴れ間が出て草紅葉が綺麗だった。
高度が上がるにつれてガスが濃くなる。
休みを2回入れて2時間10分掛かった。
ジャンクションピークで休憩をする。雨が降ってきたので雨具を着る。そこへヒュッテで同宿した若者が追いついてきた。
若者もここで休むという。先に出発する。
ジャンクショピークから少しで木道が出て、左に宝川温泉分岐を見て行くと朝日岳へ着く。
ジャンクピークから24分で着いてしまった。
湿原の景色もガスで何も見えなかった。
朝日岳山頂では何も見えない。
直ぐ笠ケ岳へ向かう。
宝川温泉分岐で追いついてきた若者と一緒に歩く。
朝日岳から笠ケ岳へは大烏帽子と小烏帽子の二つのピークがエリアマップに書いてあるが、二つどころでない、いくつかをアップダウンしなければならない、これには疲れた。長時間歩いているので疲れもあるが、このアップダウンには正直うんざりした。
馬蹄形をやる人、土合から朝日岳を往復する人、土曜なので結構な人数に出会った。
難儀しながら笠ケ岳避難小屋に着いた、誰も人がいない。A氏と二人で小屋の中へ時間的に昼時なのでA氏の持ってきた水でコーヒーを飲む。
若者は、お先にと言って先に行ってしまった。
避難小屋から笠ケ岳は直ぐ、3分で着いた。
山頂には数人の登山者が休んでいた。
写真だけ撮って素通りする。
白毛門へは下って行く、少しのアップダウンがあるが灌木帯の尾根道になる。
白毛門の山頂。
白毛門沢を遡って来たという人が6人ばかりいた。他に数人休んでいた。
ここから土合登山口まで2時間半、16時15分のバスに間に合う。A氏は水上駅まで乗せて行きますよというので同乗させてもらうことにする。
A氏の足が少し疲れ気味、足を滑らせている。
松の木沢の頭あたりからガスが薄くなり始めジジババ岩が見えるようになった。
松の木沢の頭までは岩場が多いが、この先は樹林帯の木の根が張り出し、滑る所が多くなる、そして傾斜もある。注意して転ばないように歩かなければ。
事故
蓬ヒュッテで同宿した方(A氏)と土合まで一緒することになり、白毛門を下っていた、登山口まで30分ほどの所で事故が起きた。
長時間歩いて既に足に力が入らない状態でA氏はここまでにも数回足を滑らせ尻もちを付いていた。
木の根と岩混じりの所で、滑り易いなとA氏を見る為に後ろを振り返った、その途端A氏が足を滑らせて落ちてきた、ただ、前向きに落ちたのか後ろ向きに落ちたのか分からない、咄嗟に手を出して止めようとしたがA氏と少し間が離れていたので勢いがあり、腕一本では止められなかった、手が何かを掴んだようであるが分からない、前向きに倒れてきたのであればショルダーベルトを掴んだのか、そうだとすれば掴んだ手でA氏が一回転してザックを下にして倒れた。後ろ向きに倒れてきたのであれば私の腕でA氏を寝かせるようにA氏は、くの字形で腰から次にザックがクッションになって転がったのではないかと思われるが確かではない。
何れにしても私はザックのショルダーベルトかザックを抱えてA氏と一緒に倒れ私はA氏の上で一回転して仰向けに倒れた、帽子とザックの上蓋に泥がついていたので頭から落ちついで背中から落ちたようだ。
私は斜面の上に頭があり直ぐに起き上がることができた、A氏を見ると斜面の下に頭があり足が斜面の上にある、その角度60度はある、上から若い人が降りてきて手伝ってくれた、私がA氏の右手をザックから外し肩を抑え、若者が足を時計回りにまわして何とか頭が上になるようにした。私もA氏もケガがないようであった。
私は自宅で頭を洗っていると痛いところがあるタンコブができていた。やっぱり頭から落ちようだ。また、臀部に10cmほどの青あざができていた、しかし、青あざの部分は痛くはない。タンコブも押さなければ痛みはない、こんなもので良かった。
私が一回転して倒れた場所は土の上で木の根の尖ったところや石があるところでなかったのが幸いした。
咄嗟に止めようと腕を出したのは本能だろう。
A氏は何度もお礼を言っていたが、山では外界と違い、知らない同志で「こんにちわ」と言い、道端でしゃがみこんでいたら声をかけ、お互いが気遣い合う、そんなことが自然に行われているのが山である。損得など計算していないのである。山では本能的に行動しているに過ぎない、だから山に来ると癒やされるのだと思う。
写真は事故現場、黄色線がA氏、赤線はA氏のザックA氏の下にある。A氏の頭の下に私の頭がある。実際はもう少し下にあったようだ。
写真のザックは上下逆さまになっていた。人物から道の斜度が推測できると思うが、ザックの後ろは石でほぼ垂直に50cmほどあります。左の人がA氏、事故直後に立っていられるので何とか大丈夫のようだった。
写真は事故現場、黄色線がA氏、赤線はA氏のザックA氏の下にある。A氏の頭の下に私の頭がある。実際はもう少し下にあったようだ。
写真のザックは上下逆さまになっていた。人物から道の斜度が推測できると思うが、ザックの後ろは石でほぼ垂直に50cmほどあります。左の人がA氏、事故直後に立っていられるので何とか大丈夫のようだった。
A氏とは水上駅でお別れした。
無事ご自宅へ戻りますように、事故後は緊張しているので痛みは分からず、痛みは後から出てくるので帰りの高速道は何時もより慎重になって帰ってほしいものだ。
HPアドレスを伝えたので無事自宅に帰り、事故の痛みも少なかったとメールが届いたので安心した。
行 程
1日目(7時間5分)
ロープウェイ天神平駅9:15~10:00熊穴沢避難小屋10:14~11:32トマの耳11:34~11:50オキの耳11:55~13:15一ノ倉岳13:41~14:02茂倉岳14:08~15:45武能岳15:48~16:20蓬ヒュッテ
2日目(9時間20分)
蓬ヒュッテ5:45~6:36七ツ小屋山6:41~7:18清水峠7:28~9:38ジャンクションピーク9:43~10:07朝日岳10:10~11:16笠ケ岳避難小屋11:40~11:43笠ケ岳~12:33白毛門12:42~13:31松の木沢の頭~15:37土合登山口
事故15:05(事故処理に何分かかったかは不明)